感情高架 > vodqa
ウニについて
知人と話しながら考えてたら脳みそが重たくなってきたので一回書き殴って全部忘れようと思っている
結論は「調子に乗って誰にともなく喧嘩を売ってはいけない」

話をわかりやすくするため、知人を仮にムラサキウニとする
キャベツを食べるムラサキウニ

私の画像はかっこいいのしかなくて話の邪魔になってしまうからフサコを私とする 誰も知らないと思うがこいつの名前はフサコだ

フサコ

私の思う宇宙はこうだ

私の宇宙

私が中心にいてウニなど他人たちがいる まあ普通だな

ウニの宇宙はこうだ

ウニの宇宙

ここからだけど、私はウニをこいつだと思っている

こいつがウニ

対して、ウニは私をこいつだと思っている

こいつがわし

私は私の宇宙の中のウニを見ていて、ウニはそのような宇宙をもっている私を見ている、という構図になる。
このイメージにおいて、私の宇宙の中で私がウニに対して仕掛けた行為はウニの宇宙と関係がない。「私がウニをボコす」は成立しない。おそらくウニの宇宙の中の私が手足をバタバタさせているのだろうが、それを私とは見なされていないわけだ
それぞれがAとBという友人を持っている場合、私にとってAとBは「同じ友人」だが、ウニにとってAとBは「別の友人」なのだ
だから私はウニとAとBを相対評価する。ウニは絶対指標で見る
私は他人を軽蔑しのけものにしたり熱賛し特別扱いしたり普通にする。友人Aをウニから引き離そうという悪事を思いつくこともあるが、ウニにしたらそれは倫理というよりもはや物理を逸脱した、AIが描いた指のようなキモい幻想の試みにしかすぎない

私にもウニにもそれぞれ特別にリスペクトする相手はいるけれど、ウニの特質は他のそうでもない人を別に見下してはいないところにある。嫌いだと言う場合はあっても見下しているわけではない。なんなら積極的に関わって自分の宇宙をブラッシュアップしようとまでする。私なら積極的に排除してそれで終わってる。

結論への道程を書き忘れていた。この前提なら「私がウニはボコす」はないけど「ウニが私をボコす」は普通に成立するので、私さんはウニさんに戦意とか抱かない方がよくないすか?という事
あとこれもわざわざ付記するとウニの世界観について断定し倒したのはその時私の宇宙の中にいたウニを見ての一瞬の仮止めでしかないから。実際のウニは全然違う。第一ウニはうまい